2020年07月17日

内にいて 四文四文がうるさいぞ師匠へやればそのうちがらく

愛知の寺子屋
先日の続きです。

今でこそ子供は皆「学習する権利」を与えれていいますが、
江戸時代は「士農工商」で身分を分けられた時代、
子どもの学び舎も分けられていたようです。まぁそういう時代ですからね。

士族が通った国が統治目的に設置した「藩校」「郷学校」、
それとは別に庶民が自ら日常生活に必要な教養(読み書き算盤)を習う場所として
始めたのが寺子屋であり、けして「お上」から勉強しろと言われて始めたことではないらしいです。

寺子屋の教師は、士族 僧侶 神仏 から、 医師 漢学 数学者 商人 百姓 もいたそうです。
バラエティに富んでますね。
最盛期には全国に6万軒あり、明治に発布された「学制」国民皆が学べる義務教育が始まるまで
その町の人たちが見様見真似で教えていたであろうその時を生き抜く学びがそこにはあったような
気がするのは当時寺子屋に通っていた古老の生徒さん達からのメッセージから伝わってきます。


ところでタイトルの「四文四文とうるさい」とは江戸時代に流行っていた狂歌です。

今でいう一〇〇円ショップのような何でも四文銭で売っている「四文屋」が当時流行しており
庶民に手軽に使われる通貨として流通していたお金です。
子供でも手軽に使える四文、徳のある師匠から教えを乞うて徳を積めば

その家が楽になる。
posted by oono at 11:47| 日記